chapter1-6 永遠の夏休み

chapter1-6 永遠の夏休み

 カスケは精神を安定させるだけで精一杯だった。全てが上手くいかない。言葉も出ないほど焦燥しきっているが顔には出さず人に会う時は笑顔を心がける。そんな風に偽りの自分を演じているうちにますます精神はおかしくなり、もしかしたら鬱病なのかもしれないと思うほどだ。それでも人に会うことは好きで、むしろ一人でいる方が辛くなる。逃げることで解決することもあるだろうが、逃げたところで解決できないことの方が多い気もする。結局、やはりというかアートにしか逃げ込むところはないのか、もしくは他に逃げcom場所を見つけられないままなのか。文章を書き、絵を描き、例えそれらを誰の目にも触れることがないとしても、ただ、ただ、仕事のように続けることで命と時間の契約に折り合いをつけている。

 仕事とは何なのか、と考えてしまう。こんなことを考えてしまう時点であらゆることがうまく行ってないのだ。何か、諦めのような、焦りのような、無味無臭の空気感というか、そんな時は、外に出て草の匂いを嗅ぎ、空の青さと入道雲の白さに我を取り戻すしかない。夏で良かったと思う。こういう時、冬はつらい。夏の空でなければダメなのだ。空の青のあの青でないと逆につらくなる。あの青は夏なのだ。小学生の頃に感じた7月下旬の感覚だ。まるで「永遠の夏休み」の中にいるような感覚だ。終わりのない夏休み、ドキドキするような新しい体験がこの先どこまでも続き、世界の全てがキラキラして見える感覚、少年が初めて自我を意識し、たぶん自分の人生が幸先よくスタートしたんだなと感じたあれだ。そういえばカスケは大人になってからもそれに似た感覚を味わったことがある。台湾の台中に滞在していた時に砂利の上に仰向けに寝そべって見た空。こんなにも胸が詰まるほど切ない空の青さと心地よい風、人生の一通過点をこんなに愛おしく思えるこの時間をこの先の人生で何度も思い出すだろうと確信した。そしてあれから15年ほど経った今でも美しい空の青を見るたび、確かに33歳だった自分が台中に存在していたという、あの永遠を切り取ったかのような時間を何度も何度も、何度も大事に思い出すのだ。


※永遠の夏休み

坂口恭平のTwitterのパステル画を見て「永遠の夏休み」という感覚を思い出した。好きな絵だ。(記述2020/08/04)

今年の夏休みは新型コロナの影響でたった2週間あまり。少年時代の大切な時間を奪ったウイルス。いつまで続くのだろうか。(記述2020/08/04)